できない理由探しがクセになってしまった人へ

ある女性の話です。彼女は、12歳のとき交通事故で完全失明しました。視覚障害者の福祉サービスを受けています。彼女は点字で学んで、鍼灸師マッサージ師の資格をとり、病院で患者さんのマッサージをする仕事をして、社会とかかわっています。盲導犬を連れて出勤しています。セラピーも盲導犬を連れて受けにきました。障害があっても、そうやって、前向きに生きている人もいます。彼女はやがて同じ盲目の男性と知り合い結婚し、子供を産みました。一家をなし、家族で頑張って暮らしています。夫も盲学校の先生です。

いかなる境遇でも前向きに生きることはできる

たいへんなハンデを背負ってもくじけず、前向きに生きる人もいます。あなたは目も見える、耳も聞こえる、話もできる、五体満足なのではありませんか?それだけでも感謝できるし、感謝したら、そこから、おおいに頑張る気持ちがわいてくるのではないでしょうか。ハンデを持ちながらも一生懸命学んでいる人もいます。そういう人は、むしろ、私は私は、俺が俺がと、不満は、言い立てないのです。静かに、しかし、一歩一歩、自分のできることを実行して人生を前向きに生きていっているが多いです。それは、自分でそうなろうと決意をして、そうなるべく自分に毎日言い聞かせながら、そうなるように実行を続けるほかありません。

あきらめることなく再チャレンジを繰り返す

途中でうまくいかないこともあるでしょうが、そのたびに、またやり直し、再チャレンジを繰り返すことで、人間は少しずつ能力が向上していくものです。これまで、そのような姿勢や取り組み方をせず、自分のできないことを容認し、自分はできないのだとマイナスの自己暗示を自分にかけることで言い訳をつくり、脱皮することから逃げていたので、変わらなかっただけです。今、大事なことは選択することです。進むことに変わりはないのです。どちらに進むかを決めて行動することです。逃げることは、後の苦労を大きくするだけです。どちらを選ぶかは、あなたの「自由意志」です。すべて因果応報になっています。あなたの選んだことが、当然の結果をあなたにもたらします。人間は死ぬまでの時間をどう過ごすのか、神様から試されているのです。

人生における喜び、楽しみを受け取ることの大切さ

人生には、喜びもあれば、苦労もあります。義務や使命に心を支えられている人は、時に、喜びを忘れて、苦労にはまりこむことがあります。義務や使命を心に帯びて苦を乗り越えることは尊く崇高ではありますが、そればかりであれば、人生は窮屈なものになることもあるでしょう。もっとも、それが本人の完全な喜びに合致している人もいます。これは最上級の魂の境地です。しかし、なかなかその段階に入れるものではありません。私達にとっては、まずはその一つ手前の段階、つまり、喜び、楽しみをきちんと受け取る人生をきわめていくことが先決です。不思議なもので、受け取るだけ受け取ってしまうと、どんな人も最上級のレベルに自然に参入していくのです。言い換えれば、最上級レベルになれないとしたら、それは受け取ることがまだ十分でないといえるでしょう。もっと、喜び、楽しみを受け取って良いのです。愛と真心の大きな枠を踏み外さない限りは、人生はもっともっと大きな視点で、喜び、楽しみを追求してよいものです。

あなたは幸せになるために生まれてきた

宗教的人生観に中途半端に染まった人は、このあたりの間合いがつかめないので、どうしても、杓子定規の真面目人間になってしまいます。しかし、そのレベルでは本当に大きな働きを世の中や世界に及ぼすことはできません。人は自分自身が最高に喜び、楽しむ時、はじめて本当の意味で人を愛し、人生の本義を全うできるのではないでしょうか。自分にとっての喜び、楽しみを、しっかりと明確化して、それを受け取ることを自分自身に許可してあげてください。あなたはもっと、幸せになっていいのです。もっと喜び、楽しみをたくさん受け取っていいのです。自分自身にそれを許可してあげないと、受け取ることができません。「人生における私の喜び、楽しみを私が十分に受け取ることを許します」この言葉を何度もつぶやくと、自分を縛っていた偏狭な鎖が断ち切られるでしょう。

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