認知の歪みとは?

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認知の歪みについて

さまざまな心身の不調を引き起こし、人生の行き詰まりの原因となっているのが、その人のもっている認知の歪みです。これは思考様式の偏りのことで、以下のようなものがあります。第一に、「二分割思考」です。全か無か、白か黒か、敵か味方か、成功か失敗か、損か得か。このようにいろいろな物事を、両極端に考えてしまう思考の歪みです。実際には白もなく黒もなく灰色でしかないのに、そこにわざわざ、白か黒を見出して二分していこうとします。

第二に、「過度の一般化」という認知の歪みは、過去に体験した失敗や挫折を根拠にそれを物事すべてに当てはめて結論を一足飛びに出してしまう思考の歪みです。未来のことはやってみなければわからないにもかかわらず過去の経験で結論を全部、多くは悪い方に決め付けてしまいます。第三に、物事の悪い面ばかり見て、否定的に考えることが得意で、良い面に目をむけるのは苦手なのが、「選択的抽象化」という思考の歪みです。よく探せばむしろ感謝できることであっても、そこは見ないで、悪かったところばかりを見つめるものです。第四に、「悲観的予言」。これは。物事を悪い方に悪い方に予測して、悲観的な未来ばかりを夢想していくもの。不幸であることに安住しようとするのです。第五に「教義的思考」。 ねばならないという義務感や倫理観があまりにも強くて、なんでも「~すべきではないか」「~するのが当然だろう」「~などやってはいけない」と、
非難、批判、禁止などをして裁いていきます。これらの思考のクセは自分を苦しめるだけです。自分で自分をつらく苦しい状況に追い込む思考法です。いっしょうけんめいに自分を不幸にする努力をすることはやめましょう。上記の反対をめざせば、いいのです。

潜在意識には主語がない?

潜在意識の働きの特性として、「主語がない」ということがあげられます。自分が幸せになることも他人が幸せになることも、潜在意識に暗示としては「幸せになる」という概念として入るのです。そしてその実現が引き寄せられるということです。他人の不幸を願うときには、他人とか自分という主語がない状態で潜在意識が受け止めるので、「不幸になる」という概念として、潜在意識はそれを実現しようとします。人類共通意識の存在、すべての人が潜在意識でつながっている、ユングの集合的無意識の概念にも関連してくるテーマです。世界はその意味で閉じているのです。湯船の中のようなもので、その湯船の中で湯を手のひらで押し出すと、その湯はすぐにまわりこんで自分のところに戻ります。不幸という想念を外に押し出せば、同じ不幸というものが自分に戻ってくるのです。この因果関係は、一生の中で完全に帳尻があわないことも多く、生まれ変わり死に変わりの過程で自分に戻ってくることも多いのです。これはいわば前世で自分が出した想念が、前世で戻りきらず、生まれ変わった後で戻ってきたわけです。前世で他人の不幸を願った言動をしたものが、今生の自分の不幸として戻ってくるわけです。想念が現実化することと、因果応報の法則とは、実は、同じことを言っています。それは、自分が出した想念が現実化するということなのです。想念の種類が、愛念(幸せを願う心)であれば幸せが現象化して戻り、冷酷な心(不幸を願う心)であれば、不幸が現象化して戻ります。

潜在意識の働きの特性

ここでポイントとなるのは、潜在意識には「主語がない」ことです。それゆえ、他者の幸せに願って、それを言動として行った人には、結局は自分の幸せが実現していくことになります。自分の幸せをイメージすることももちろん自分を幸せにしますが、そのとき、誰かの不幸をも念じているのであれば、それはマイナスエネルギーとして幸せの実現を打ち消すことになります。心の中で誰かを憎んでいたり、責めていたりしていることが多いと、自分の幸せの実現の足を引っ張るのです。もし、人生において、他と戦うということがあるとすれば、それは「子供を守ろうとするメスライオン」の境地でなければなりません。愛するわが子が襲われて危機に瀕する時、わが子を守ろうとして、母性愛のきわまりによって、メスライオンは、降りかかる火の粉を払います。攻撃してくる敵に憎悪を向けるのではなく、守るべき愛するものへの愛がきわまって、降りかかる火の粉を払うということですね。その場合は、敵対するものにも武士の情けをむけるし、不幸になるものを見て哀れみ悲しむ慈悲の念があふれているのです。歴史上でいえば、楠木正成、楠木正行の、事跡に同じ境地をみることができます。

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