人生を立て直し自分もまわりも好転させる魂向上実践塾とは?

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プラス思考と怠り心がごっちゃになると努力をおろそかにすることがあります。わかりやすい例で説明します。ある生徒が受験勉強をしています。プラス思考で「絶対に合格できる」と思い込んでいます。そして、勉強はろくにやりませんでした。結果はどうなるでしょうか?これは、本当のプラス思考とはいえないです。人としての努力を重ねる中で、良き未来を確信してあきらめることなく進む時、本当の理想実現ができるのが、人生の真理です。

人としてのあらん限りの努力の上に天佑神助がくる

本当のプラス思考とは、天地の法則(神仏の御心)を知り、行動できるものです。人間としてなしうる最善を尽くし、あらん限りの努力(つまり真心)を尽くすのです。あらゆる事態を想定して対策を講じておくはずです。そこまでやって始めて、「絶対に大丈夫だ」と思えるのです。また、最初からそう思っているからこそ、最善を尽くすだけの苦労をいとわずにやれるのです。「こんなことをしても無意味かも」と思っていると、そこまでの努力はできないです。自分は神様に守られているから絶対に大丈夫だと確信して、人間としてあらん限りの努力をするというのが人生全般の正しい向かい方です。

最悪の事態までも想定し、すべてに対策してこそ真心

あらゆる事態を想定して、対策を講じるのが「真心」です。いつも霊能者・占い師に相談する人の心は、この手間を省こうという心根から発しています。霊的存在の声を霊能者や霊媒やチャネリングのような形で、常時、聞こうとする行為や、霊視、リモートビューイング、千里眼など霊眼で見ることを常時、利用する心が道から外れているのです。禅の修行中にも未来が見えたり、霊と対話したりできる境地が開けることがありますが、禅ではこれをすべて「魔境」であると断じ、修行者にこのような世界とかかわることを厳禁しています。これは禅の歴史の中で導き出された明察です。なぜならば、人は現実社会で、日常生活の中で魂を磨き、徳を積み、世に益する行為をする中で、霊的に成長するのが正道だからです。お釈迦様も六大神通力は方便でしかないと断じました。天眼、天耳などの通力つまりサイキックパワーや霊視、霊聴、それを本物じゃないといったのです。

本当の引き寄せ、本当の開運法

本物の守護霊や神様は日常生活の中で一生懸命に現実の努力を重ねるときに、天来のヒラメキと導きで正しい方向にごく自然に進むものです。「99パーセントの汗と1パーセントのヒラメキ」です。本当の守護霊が教えてくださる場合はこのような自然な形で導き、不可思議なる現象によるお告げなどはしません。大金を棚ぼた式に得ようとするような引き寄せ理論もありますがそれらはすべて邪道です。必ず不幸に陥る道です。弊害のない完璧な願望成就法については「みんなで開運しよう!魂向上実践塾」というネット上のSNS形式の塾を創設し、参加者にメールカウンセリングを重ねながら会得してもらっています。人としてなしうる最善を尽くし、あらん限りの努力(つまり真心)を尽くす時、人生好転は起こるのです。あらゆる事態を想定して対策を講じておくはずです。そこまでやって始めて、「絶対に大丈夫だ」と思えるのです。そうした生き方を身に着けるには、一人でがんばっているだけでは行き詰る人も多いのです。そこで魂向上実践塾を創設したのです。⇒ 魂向上実践塾

物事の良い面を見れる人には良いことだけおこる

過去の人生経験でも、最近の出来事でも、すべての物事には正負の法則が働いています。正負とは良い面と悪い面です。最悪の不幸をバネにして最高の幸福を手にいれる人がいるわけですから、最悪の不幸にも、最高の幸福を引き出すパワーがあるということになります。ですので、今、この瞬間の自分よりも以前に起こったことは、最近のことでも、かなり過去のことでも、いずれにしても、その良い面に意識を向けることです。というよりも、良い面だけを見つめることです。自分の心に浮かべる内容が、次に自分に降りかかってくるのです。それが引き寄せの法則であり、類は友を呼ぶの法則です。今、心に浮かべるのが「快」ならば、次にあなたにめぐりくるのはやっぱり「快」なのです。今、心に浮かべるのが「不快」ならば、次にあなたにめぐりくるのはやっぱり「不快」なのです。自分の心に浮かべておくものをあなたは自由に選べます。

良い面に意識の焦点を当てることが重要

あなたの裁量で今の自分の想念を選択できます。つまり、あなたは自由に「快」も「不快」も引き寄せられます。そうであるならば、わざわざ「不快」を引き寄せるのはなんとも損なことをしているということになります。もし、「不快」なことが思い浮かんだら、どうしたらいいのでしょうか。打ち消しますか?打ち消せますか?それはむずかしいという人は多いでしょう。だったらこうすればいいのです。その出来事や体験などの事実の「肯定的な側面」を探し、そこに肯定的な意味を見出すのです。誰かから理不尽な暴力や暴言を過去に受けたら、因果応報が清算されたと思うのでもいいし、人の痛みを知り、自分は同じことを誰にもしない学びを得たと肯定的意味をそこに見出すのでもいいのです。どんなマイナスにもプラスにつながる意味を見出せます。すると「ありがとうございます」と思えてきます。感謝の念がわいてきます。自分にない長所をもつ人に「してやられた」と感じたら、「これは神様がお手本を見せてくださったのだ」とその他人の長所から学び、自分なりに取り入れるのです。

感謝の念は最高のプラス想念ゆえに幸せを呼ぶ

考え方の工夫ひとつで、「ありがとうございます」と感謝の念がわいてきます。こうして、「不快」ではなく「快」を心に思える訓練をする。それが「修業」つまり「業を修める」ということです。今の自分が何を思うか、何を心に浮かべるか、自由意志にゆだねられているのです。その意味で、幸せになるのも不幸せになるのも全部、本人の責任であり、自分で選んでいることなのです。心が「快」つまり「喜び、感謝、祝福、学び、楽しみ、向上、愛、承認」に満ちているのであれば、現実がどんどんそのように変化していくのです。もっと「快」が加速度的にめぐりきたるのです。自分を祝福してあげてください。そして他人を祝福してあげてください。自分と他人は別の存在です。考え方も趣味趣向も価値観も違います。自分の価値観のとおりに動いてくれる人はいません。そこを基準にしたら、「不快」しか生まないのです。自分の受け取り方の工夫次第なのです。事実は変わらなくても、その意味が変わってくるのです。それゆえに物事の良い面だけを見ることができる人には良いことしか起こらなくなっていくのです。これを訓練しながら、魂を磨くのが、魂向上実践塾なのです。⇒ 魂向上実践塾

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